モーツァルトドン・ジョヴァンニ」 @オペラ・ガルニエ
Sylvain Cambreling(指揮)
Michael Haneke(演出)
Peter Mattei(ドン・ジョヴァンニ)
Robert Lloyd(騎士長)
Christine Schafer(ドンナ・アンナ)
Shawn Mathey(ドン・オッターヴィオ)
Mireille Delunsch(ドンナ・エルヴィラ)
Luca Pisaroni(レポレルロ)
David Bizic(マゼット)
Aleksandra Zamojska(ツェルリーナ)
モーツァルト・イヤーに合わせて、今シーズンのオペラ座ではダ・ポンテ三部作が上演されている。昨年九月の「コジ」(パトリス・シェロー演出)に続いて、先週から「ドン・ジョヴァンニ」が上演されている。演出はオーストリアの映画監督ミヒャエル・ハネケ
観客を弄ぶ術に長けたハネケだけに、ありきたりな「ドン・ジョヴァンニ」にはならないだろうという予想はしていたものの、この演出には正直度肝を抜かれた。これは昨シーズン以来のモルティエ体制最高の成果と言えるのではないだろうか。
一見すると単なるモダン演出である。ラ・デファンスあたりの高層オフィスビルが舞台で、ドン・ジョヴァンニとレポレルロはスーツを身に纏い、農民である筈のツェルリーナとマゼットはビル清掃のアルバイト学生だ。
冒頭、ドンナ・アンナと登場したドン・ジョヴァンニの着衣は乱れており、彼らが情事の後である事が明確に示される。このようにしてハネケ演出は、このオペラが本来持つ矛盾や曖昧さに明確な解釈を与えていく。ほとんど歪曲とさえ言えるような箇所も多いのだが、それらは物語的合理性を持っている。ここではドン・ジョヴァンニは孤独と狂気を併せ持った突出した人物である。窓から身を投げる仕種をしたかと思えば、昂揚してツェルリーナの友人を全裸にしてしまう。また、レポレルロとのホモセクシャルな関係までが示される。エルヴィラの侍女を口説く為に歌われる筈の「窓辺においで」だが、侍女など登場せず、ドン・ジョヴァンニがエルヴィラの上着にしがみ付きながら一人で歌う。 ネタバレばかりになるのも詰らないので全ての詳細は記さないが、とにかく様々なアイディアや独自の解釈が溢れていて、かなり興奮させられる公演であった。取り分けドン・ジョヴァンニが地獄に落ちるクライマックスの斬新な解釈は面白く、大衆によって一人の特異な人物が抹殺されていく様が鮮やかに描き出されていた。
そうした演出だけに終演後にはブラボーとブーイングが相半ばしたが、充実した歌手陣の好演もあり、見どころたっぷりで大いに満足した。正直言って映画監督としてのハネケの仕事は大嫌いなのだが(ちなみに最新作『隠された記憶』は来月のフランス映画祭@東京&大阪にて上映)、今回の演出は彼の持ち味であるあざとさが有機的に機能していた。是非とも近い内の再演を望みたい。