transparence2006-05-17

ロン・ハワードダ・ヴィンチ・コード』(2006)[☆] @MK2 Odeon
今日からカンヌ映画祭が始まる。この時期のフランスのメディアはカンヌ関連の記事で埋め尽くされ、パリにいる私にまで「お祭り気分」が波及してしまう。それにカンヌまで行かなくとも、パリであれば上映作品の多くを見ることができる。今年のコンペではアルモドヴァル、モレッティソフィア・コッポラの三本は公式上映と同日に劇場公開される(これにカウリスマキペドロ・コスタが加われば言う事無いのだが・・・)。また、監督週間や批評家週間に関しては、映画祭直後にパリでそのまま上映されるだけに、映画を観るということに関しても、日本とカンヌほどの距離感は感じなくてすむ。
オープニング作品の『ダ・ヴィンチ・コード』も今日の公式上映と同時に一般公開。絵画や図像が重要なモチーフだけに、それらを視覚的に表現できる映画の方が面白く、判りやすくなるかと思いきや、結果はその逆。まず、駆け足で物語を進めて行く前半は、慌しくしかも説明不足。殆どの観客が原作を読むなりしてストーリーを知っているという前提なのだろうか。原作を読んでいない観客は、物語の背景が全く理解できないのではないか。それが提示する情報の量と質に関して、映像と文字とで大きく異なるのは自明の理であるが、この映画化は原作に縛られすぎるあまり、その点を履き違えていると思う。しかも、中盤以降はドラマが停滞し、今度は過剰に説明的になってしまう。ここでのネタバレは本意では無いので、このぐらいにしておくが、小説の映画化の最大の失敗例の一つと言っていいだろう。昨夜のマスコミ向け試写を受けて、各誌が批評を載せているがどれも芳しくないようだ。今日の場内でも、クライマックスでかなりの失笑が洩れていたことを書き添えておこう。
夜はテレビでオープニング・セレモニーを観る。初の男性プレゼンターとなったヴァンサン・カッセルは、少々緊張気味ではあったが無難に大役をこなしていた(審査員紹介でモニカ・ベルッチを呼ぶときの照れた様子は好感度アップか)。ベトナム語やアフリカの言語も飛び出したカッセルのスピーチや、ウォン・カーウェイの中国語での挨拶など、映画が内包すべき文化の多様性が強調されていた。ウォン・カーウェイの『2046』の一場面を上映し、そこからアンジェラ・ゲオルギューがアリアを唄う(本当に生声かどうかは不明)演出もまずまず。最後にシドニー・ポワチエが登場してスタンディング・オベーションを浴び、開会を宣言。シンプルかつコンパクトなセレモニーであった。
今年の映画祭の概要・作品紹介は、パリ在住のお友達、桜子さんによる「goo映画-カンヌ映画祭特集」が詳しい。