フランス映画祭レポート(5)

いよいよ最終日。最初の上映は『優しい女』だ。木曜日の上映に比べるとお客さんの入りもまずまずで、ソフィー・フィリエール監督(ちなみに彼女はの妹は『運命のつくり方』に主演していたエレーヌ・フィリエール)はサイン会も無難にこなしてお台場を後にした。
続いての上映が『私の名前はヘル』。昨日突然来場したサラ・フォレスティエが再びお台場に登場。しかも、着物を着てくるということを事前に伝えられ、できるだけ彼女に負担の少ない誘導をするべく頭を悩ませる。
真っ赤な着物で到着したサラ・フォレスティエが、「どう?」といった感じでこちらを見る。その仕種が『エスキーヴ』(残念な事に日本未公開)の冒頭で、舞台用の衣装を着て友達に見せて回る様にそっくりだ。髪を結うと彼女の顔の小ささが一層引き立つ。
スクリーン1での上映は半分程度のお客の入り。昨日の上映はほぼ満席だったが、これは154席のスクリーン3でのこと。まあ、結局のところ上映会場が分散し、しかも複数回の上映があることで、お客さんも分散してしまっているのだろう。少しでも多くの作品を観てもらう機会を作るという意味では、今回の複雑極まりない上映スケジュールは有効と言えるのかも知れないが、結局のところパシフィコ時代の一回のみの上映の方がお客さんが一度に集まるので、Q&Aやサイン会も盛り上がりやすかったと思う。昨年、サブ会場と称して二箇所のシネコンでの上映を行ったが、そこでの集客は必ずしも好ましいものとは言えなかった筈だ。今年も、その轍を踏んでいるような気がしなくもない。今回の六本木&お台場(プラス高槻)という会場選択には、様々な思惑や事情が絡んでいるであろうが、フランス映画祭というのは、その規模から言って一箇所でコンパクトに開催するのがその身の丈に合っているように思う。
話をサラ・フォレスティエに戻すと、サイン会でも沢山の人に着物を褒められて、彼女はとても嬉しそうにしていた。『ヘル』のサイン会が終わると、フォレスティエはスクリーン2での『恋は足手まとい』のQ&Aに向かう。ここでも彼女は、共演のスタニスラス・メラールに「着物、どう思う?」と訊いていた。
『恋は足手まとい』はスクリーン2ながらも満席。エマニュエル・ベアール、シャルル・ベルリングという主役が来日しなかったのは残念だったが、今後のフランス映画界を支えるであろう若手俳優二人の登場に、Q&A、サイン会ともに盛況であった。サラ・フォレスティエは連続のサイン会にも疲れた様子は全く見せず(まあ、若いからね)、ご機嫌の様子でお台場を後にした。
それに続く『一夜のうちに』と『They came back』でもお客さんの入りは客席の半分を埋める程度。日曜日なのになあ。それにしても週末のメディアージュはベビーカーを押した家族連れなどで大賑わいで、およそ映画祭的な空間とは言い難い。メディアージュの賑わいが映画祭の盛り上がりとは無関係な事には違和感を覚えざるをえない。
スクリーン3では3時半から『エギュイユ・ルージュ』が上映されていたのだが、ここに監督のジャン=フランソワ・ダヴィが急遽来場してQ&Aを行うことになり、少々慌しくなる。ダヴィ監督は「自分の作品が上映されるのだから、お客さんに挨拶するのは当然のこと」だと言っていたが、やはり自分のフィルムに対する愛着は相当のものなのだろう。このQ&Aは非常に充実したものとなり、監督は作品のモチーフとなっているアルジェリア戦争当時の時代背景について熱く語っていた。監督の饒舌の為に二つの質問だけで時間切れとなる。ここでのF先生の通訳は素晴らしく、私の聞いた限りでは今映画祭最高の出来だったように思う。ご本人は「二度目なのだから(木曜日に既に監督の通訳を務めていた)当然よ」とおしゃっていたが、こういうパフォーマンスを目の当たりにできるのも、私にとってはこの映画祭の醍醐味の一つなのだ。
また、18時45分からの『カルメン』でも急遽リモザン監督が来場して舞台挨拶を行うことになるが、これは上映前のみでQ&Aは無し。
そして19時45分からの『Trouble』(スクリーン2)の上映が、実質的にお台場でのイベントの最後である。毎年、映画祭の最後の上映が始まると、会場の片づけが始まり、パシフィコが普段の会議場に戻っていくのを寂しい思いで見ていたものだが、今年はそうした感慨は皆無だ。映画祭が終わっても、ここは明日も映画館である。やはりシネコンに「祭り」はそぐわない。
『Trouble』の上映は満員のお客さんで埋まり、サービス精神に溢れたブノワ・マジメルには黄色い歓声が沸き起こり、見事に映画祭を締めくくってくれた。
これでお台場での業務は終了。明日は空港でゲストを見送って、私の映画祭もお終いだ。
* * *
今回の映画祭までお台場に行ったことが無かった。だからセーヌ河に立つ自由の女神像のレプリカも初めて見た。ましてわざわざお台場まで映画を見に行こうなどとは考えた事もなかった。そうした、映画祭とは縁があるとは思えない、しかも決して都心からのアクセスに優れているとは言えない場所、ましてシネコンで映画祭を開催するというのは利口なアイディアであるとは思えない。だが、だからと言って今回のお台場開催を失敗だったと即断してしまうことはできないと思う。
そもそもアクセスという面では、パシフィコだってみなとみらい線ができるまではお世辞にも良いとは言えなかった。ただ、あそこは普段は会議場であった場所が、突然映画祭空間に変貌するという「お祭り気分」があった。それは今年に関してはお台場でも六本木でも見受けられなかったことだ。
しかし、フランス映画祭が最新のフランス映画を日本に紹介し、監督や俳優が日本の観客と触れ合う機会であることを考えれば、お台場であったから駄目だったとは言い切れない。今回のセレクションには首を傾げなくもなかったが、フランスでも未公開であるような最新映画を日本のお客さんは観ることができた訳だし、それに何よりも六本木では無かったサイン会がお台場にはあって、そこではゲストと観客との、他の機会ではあり得ないような近い距離でのコミュニケーションが為されていた。それは、およそ半分のサイン会に通訳として付き、そこでの交流を多くのゲスト達が喜んでいた様子を目の当たりにしたからこそ断言できる。
また、お台場という場所について言えば、多くのゲスト(特に監督)達は、メディアージュから外に出た時に目前に広がる、レインボー・ブリッジと東京のビル群の光景に感嘆の声をあげていたことも記しておきたい。
結論としては、横浜での映画祭の雰囲気を引き継いでいたのは、六本木よりもお台場であったと思う。それはウォーターフロントという立地の問題だけではなく、ゲストと観客の距離の近さというこの映画祭最大の特徴を引き継いでいたという意味でだ。毎年の常連さんたちもお台場に集合してくれていたし、横浜での映画祭を支えてきた司会のOさん、通訳のF先生が並んで舞台に立っていたのも個人的には嬉しかった。高木さんの指摘を待つまでも無く、お客さんが少なかったことは残念であったし、それだけにパシフィコ時代を懐かしむ気にはなるだろう。だが、急遽決まった六本木&お台場開催で全てが円満に運ぶ筈もない。今年の様々な問題点を吟味して、来年はより良い映画祭になることを願っている。
ただ問題は、冒頭のメネゴーズ会長の言葉の通り、来年も今年と同様の形で映画祭を開催されるかがはっきりしていないことだ。どうもフランス映画祭は混迷の中にはまり込んでしまったような気がしてならないのだが。