2006年12月の観た&聴いた

transparence2007-01-09

遅れ馳せながら、明けましておめでとうございます。お正月を日本で過ごして、再びパリに戻ってきました。一週間ほどの短い帰国でしたが、お正月はやっぱり日本が良いですね。
今冬のヨーロッパは記録的な暖冬なのですが、パリもその例に洩れず、真冬とは思えない暖かさです。12月も師走らしい慌しさで、あまり映画を観ることはできませんでしたが、なかなかの粒揃いでした。

《映画》
ロバート・アルトマン今宵、フィッツジェラルド劇場で』(2006)[☆☆1/2]@Le Balzac
アルトマンの遺作は(仏語題は「The Last Show」)、地方のラジオ番組(ミュージック・ショーの生放送)の最終回をめぐる人間模様を「グランドホテル形式」で描く。幸福感に満ちた小品であると同時に、これが「白鳥の歌」となることを自覚していたとしか思えない切なさも溢れており、数々のアルトマン作品を愛した我々は涙を禁じえない。
アラン・レネ『Coeurs』(2006)[☆☆☆1/2]@Le Balzac
アルトマンが81歳で逝った一方で、三歳年上のレネは絶好調だ。雪のパリを舞台に、人物達の表層と深層とが鮮やかに描き出されていく。演劇性を易々と取り入れるレネ演出の軽やかさと、役者陣の素晴らしい演技、エリック・ゴーティエ撮影による乳白色の画調の見事さとが有機的に結びついた秀作。
パスカル・フェラン『チャタレイ夫人の恋人』(2006)[☆☆☆]@Reflet Medicis
ロレンスの小説を映画化した、パスカル・フェラン久々の監督作。何よりも、主役を演じたマリナ・ハンズが素晴らしい。女性監督だからという訳でもないだろうが、決して下品に陥らない審美性の高さがフィルムを満たしている。それが作品の美点であると同時に物足りなさでもあるように思う。
マーティン・スコセッシディパーテッド』(2006)[☆☆☆]@MK2 Odeon
香港映画「インファナル・アフェア」をスコセッシがディカプリオ&デイモン主演でリメイク。筋立てにほとんど手を加えていないばかりか、オリジナルで印象的だった屋上でのシーンをそのまま取り入れるといった「いいとこ取り」も目立つ(一方で、オリジナルで不要と思えたヒロインの存在もそのまま)。だが、「インファナル」では少々鼻についたわざとらしい表現の過剰さ(まあ、それが香港映画なのだが)が多少は影をひそめた分、より奥深い虚無の表現へと到達している。
《コンサート》
チョン・ミュンフン(指揮)=フランス放送フィルハーモニー(12月8日@サル・プレイエル)
《バレエ》
・『ジゼル』(12月9日@オペラ・ガルニエ)
クラシック・バレエにおける「ハムレット」をメラニー・ユレルとマチュー・ガニオのコンビで観る。この作品での王子役は初めてだというガニオだが、優順不断な王子様はまさにはまり役。プルミエール・ダンスーズのユレルは、早いステップもしっかりとこなす丁寧さが印象的。
・『コッペリア』(12月25日@オペラ・バスチーユ)
パトリス・バール版の「コッペリア」は原作を大幅に翻案している。物語展開はコッペリウスにより主軸が置かれており、彼とフランツがスワニルダを争うという筋立てになっている。ノルウェン・ダニエル(スワニルダ)とアレッシオ・カルボーネ(フランツ)の二人のプルミエは、技術の高さを示していたものの、どこか強い個性のようなものが感じられないのが少々物足りなかった(まあ、このあたりがプルミエとエトワールとの違いなのだろう)。一方で、ウィルフリード・ロモリ(コッペリウス)は貫禄の安定感(さすがはエトワール)。モダン的な振付の部分は取り分け素晴らしく、若手二人を巧みにサポートしていた。
《オペラ》
R.シュトラウス『バラの騎士』(12月30日@オペラ・バスチーユ)
このザルツブルグ音楽祭との共同プロダクション(ヘルベルト・ヴェルニッケ演出)は、繰り返し再演されていて、私も観るのは二度目。鏡を多用しながら人生を一種のファルスとして虚無をにじませつつ表現していく巧みさには感心させられる。装置は一見大掛かりのようでいて実は簡便。それがまたこのオペラに適している。バラの騎士が登場する場面での、巨大な階段の使用などは本当に効果的だ。バスチーユでは最も好きなプロダクションの一つと言えよう。アンネ・シュヴァネヴィルムス(元帥夫人)を始めとする粒揃いの歌手陣も素晴らしかったが、特筆すべきはフィリップ・ジョルダンの指揮。純フランスのオケから、透明感とウィーンの風雅とを引き出していた。