カンヌ映画日誌2009・第7日

10時よりある視点に出ているギリシャ映画『DOGTOOTH』[☆☆]。子供たちを家の外には出さずに生活する家族の物語は、状況設定としては面白いのだが、それが活かしきれずにちぐはぐな印象。
12時からはリュミエールマルコ・ベロッキオのコンペ作『VINCERE』[☆☆☆]。ムッソリーニの隠し子の物語なのだが、歴史のお勉強の要素が少々鼻につくものの、いつもながらの画面作りのセンスと音響の素晴らしさには圧倒される。
続いては、ある視点に出ている『INDEPENDENCIA』[☆☆☆]。監督のラヤ・マーティンは近年世界の映画祭で注目を浴びる、弱冠25歳のフィリピンの鬼才。本作も、白黒画面にサイレント映画の要素の色濃い異色作で、これはなかなかの発見。
4本目はコンペ外で公式上映される韓国映画『A BRAND NEW LIFE』[☆☆]。今年の審査員でもあるイ・チャンドンがプロデューサーの一人として名を連ねている。孤児院に預けられた少女が里親を見つけるまでも物語。
夜は監督週間を二本。『AMREEKA』(Cherien Dabis)[☆☆]はアメリカに移住したパレスチナ人の母子の話。肝っ玉母さんものとしてはよく出来ているが、紋切り型のイメージが鼻につく。
最後はブルガリア映画『EASTERN PLAYS』[☆☆1/2]。主人公たちの閉塞感が画面から伝わってくるのがなかなか巧い。全体として作り手の映画的スタイルがしっかりしているのが好印象。

カンヌ映画日誌2009・第6日

午前9時半より、ある視点に出ているフランス映画『FATHER OF MY CHILDREN』(Mia Hansen-love)[☆1/2]を観る。ミア・ハンセン=ラヴは、アサイヤスの傑作『八月の終わり、九月の初め』に出演後、「カイエ」の批評家となり、二年前に『All is forgiven』で長編監督デビューしたという経歴の持ち主。本作は映画プロデューサー、アンベール・バルサン(ブレッソン湖のランスロ』の主演男優でもある)をモデルにした話。前作同様の繊細な画面作りで何となく観られてしまうのだが、物語の焦点が絞られないままに展開されていくシナリオの浅さは否めず・
次に、今年最大の問題作、ラース・フォン・トリアーのコンペ作『ANTICHRIST』[☆☆1/2]を観るべくリュミエール大劇場へ。プロローグの審美性には圧倒されたものの、その後の展開にはなかなかついて行けず。激しい性描写・暴力描写から、このままでの一般公開は難しいとの判断から、別バージョンが作られるという話も。
引き続き、リュミエールケン・ローチのコンペ『LOOKING FOR ERIC』[☆☆☆1/2]を観る。人生に希望を失った男の前に、彼が敬愛するエリック・カントナ自身が現れるという物語には、ケン・ローチらしからぬ軽快さが漂っていて、前半は戸惑ったが、その後の展開は彼ならではの見事さで、格の違いを見せ付けられる。
夜はパレ・ステファニーで監督週間を二本。『KING OF ESCAPE』[☆☆☆1/2]は以前、フランス映画祭(横浜時代)で『勇者に休息なし』が上映されたこともあるアラン・ギロディーの新作。中年のゲイ男性が少女と恋に落ちるというメロドラマは、彼の特異な才能が遺憾なく発揮された秀作。
『DANIEL&ANA』(Michel Franco)[☆☆1/2]はチリの若手監督の長編第一作目。誘拐された姉弟に起きた、その後の人生の変化を描いていく。引いたキャメラを多用したスタイルは監督の才能を感じさせるが、全体的に浅薄な印象が残るのが惜しい。

カンヌ映画日誌2009・第5日

8時半からの批評家週間『LOST PERSONS AREA』を半分ほど観てから、マーケット上映の『PLEASE PLEASE ME』(エマニュエル・ムレ)[☆☆☆]へ。今日、ルビッチとキートンを同時にやれる唯一の監督。続いて、ある視点に出ているルーマニア映画『POLITIST ADJECTIV』[☆☆1/2]。現実を言葉で再構成しようとする困難性を問題としているという意味では、カメラドールを取った前作と、手法は違えども、やりたいことは同じだろう。
その後はマーケット上映を回って、監督週間出品作を三本(『NAVIDAD』[☆1/2]、『LA PIVELLINA』[途中退場]、『I KILLED MY MOTHER』[☆☆])。
フィリピンのメンドーサのコンペ作『KINATAY』を半分ほど観てから、パレ・ステファニーで監督週間の公式上映を二本。『THE FRENCH KISSERS』[☆☆]は普通に面白い思春期もののコメディ。『POLYTECHNIQUE』[☆☆1/2]は、カナダで起きた実際の銃乱射事件を描く。モノクロのシネスコで『エレファント』に挑んだ心意気は買いたい。
これで、完走6本、途中退場3本の15時間のフィルム・マラソンの一日がようやく終了。

カンヌ映画日誌2009・第4日

昨日とは打って変わって、今日は快晴。雲一つ無い好天なのは良いのだが、最初の週末を迎え、カンヌは街中凄い人出。劇場から劇場への移動も一苦労。

一本目は朝9時からパレ・ステファニーで監督週間の『Like You Know It All』(ホン・サンス)[☆☆☆]。映画監督を主人公に、彼らしい人間観察の鋭さや、細部へのこだわりが光ったフィルム。日常から可笑しさを切り取る手法はさすがと思わせるが、彼の新境地という訳では全く無いという事実は指摘しておきたい。

上映後の公開記者会見を覗いてから(作中の映画監督とは異なり、朴訥とした様子で質問に英語で答えるホン・サンスが印象的)、リュミエール大劇場でアン・リーのコンペ作品『Taking Woodstock』を観る[☆☆☆]。両親の住む田舎の村おこしにウッドストック・フェスティバルを誘致することになる青年の物語。文句無く面白いし、色々なことを描きながらも、結局は家族の物語へと収斂していくあたりは見事。

続いても同じくコンペの『Une Prophete』(ジャック・オーディアール)[☆☆☆]。寡作のオーディアールだが、彼のフィルムには、ほとんど外れは無いのでは、と思わせるほどに近年特に充実している。この150分の新作も18歳で刑務所入りした少年を主人公に、彼がのし上がっていく様子が的確な演出力で描かれる。オーディアールらしい凝った仕掛けも見受けられるものの、基本的にはストレートな語り口。また、犯罪の世界で生きる主人公の、少年らしい一面を挿入するあたりが本当に巧い。

そのまま、ある視点のルーマニア映画を観ようとしたものの、満員で入れず。一旦ホテルに戻って作品の下調べなどをしてから、再度パレ・ステファニーで監督週間の『Go Get Some Rosemary』(Benny&Josh Safdie)[☆☆]。ニューヨークの若手インディーズ監督兄弟による共同監督作。昨年も監督週間で『The Pleasure of Being Robbed』が紹介されていて、瑞々しい魅力に溢れた小品だった。新作もインディーズらしい彼らのスタイルを保っているのだが、作品の規模が大きくなったせいか(そうは言っても小さいけれど)、前作のようなかわいらしい魅力が半減しているように感じたのが少々残念。

夜は、チームのスタッフが勢ぞろいしたので、ホテル近くの中華レストランで食事。晩御飯をきちんと食べれるのは今のうち。

カンヌ映画日誌2009・第3日

昨日のコッポラの余韻が冷めやらないこともあり、今日も少し遅めに始動して、先ずは11時半からパク・チャヌクのコンペ作品『Thirst』を観にリュミエール大劇場へ[☆1/2]。吸血鬼になった神父が主人公のコメディーでありホラーであり、フィルム・ノワールでもあるという異色作。パク・チャヌクの魅力は、ジャンル映画のスタイルを借りながら、作家性を追及するところにあると思うのだが、今回はジャンル映画の側面が強すぎるようだ。現代作家が撮った吸血鬼映画の最高峰といえば、クレール・ドゥニの『ガーゴイル』だが、そうした作品に比べても審美性は劣るし、ファム・ファタールが出てくるフィルム・ノワールとしても雰囲気が不足している。そうした、ごった煮が力強さにつながらず、むしろ中途半端な印象ばかりが残った。
リュミエールを出たら、すぐに隣のドビュッシーに駆け込む。ある視点のアメリカ映画『Precious』(Lee Daniels)を観る[☆☆☆1/2]。これはシナリオも演出も非常によく練られた秀作。ハーレムで暮らす女性の徹底的な絶望と僅かな希望とが力強く描かれる。これを観てしまうと、昨日の『Fish Tank』がお粗末に見えてくる。
続いてはマーケット上映の枠だが、監督週間の出品作である『Humpday』(Lynn Shelton)[☆1/2]。高校時代の悪友との再会で夫婦関係がぎくしゃくするというの題材も、いかにもアメリカのインディーズといった画面作りも目新しくはない。その二人がちょっとした勢いで自作自演のポルノ映画を撮る羽目になるという話は面白いのだが。
夜は監督週間のメイン会場であるパレ・ステファニーで二本。諏訪敦彦がフランス人俳優イポジット・ジラルドと監督した『Yuki&Nina』[☆☆]とペドロ・コスタが歌手としてのジャンヌ・バリバールを追ったドキュメンタリー『Ne change rien』[☆☆☆]。
Yuki&Nina』では諏訪の役者の人間そのものに肉薄するようなスタイルが影を潜め、長回しもどこか表層をなぞるように感じられたのは、共同監督ゆえのことか。
ペドロ・コスタはバリバールを白と黒のみで表現する。白黒映画なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、そもそも白黒といえども無数の灰色の濃淡によって成り立っているのが普通である。だが、ペドロ・コスタの画面作りは白は限りなく白く、黒は深い闇のように黒い。昨日のコッポラに続き二日続けて凄みのある白黒映像を堪能する。ただ、この類の作品としては100分というのは長すぎるきがした。
ちなみに、両方とも映画の終盤に日本が舞台となる。『Yuki&Nina』が宮崎アニメのような展開から日本に移行するのに対し、ペドロ・コスタはカフェでタバコを吸う二人の老女の画面を挿入することで日本を導入するのが面白い。
今日は5本を完走。各部門の上映も本格的に始まり、いよいよ例年のペースになってくる。

カンヌ映画日誌2009・第2日

午前中はマーケットに観たい作品が見当たらず、12時のコンペ『スプリング・フィーヴァー』(ロウ・イエ)[☆☆1/2]より始動。交錯する人間模様をじっくりと描き出す様はなかなか見事。
少し時間が空いたので、脇役がやたらと豪華なブルーノ・ポダリデスの新作(『Park Benches』)を40分ほど覗いてから、再びリュミエール大劇場にてコンペの『Fish Tank』(アンドレア・アーノルド)[☆☆]。スタンダード画面で、殊更にドラマチックに盛り上げようとしないスタイルが、逆に少女の心理に切り込んでいて好感は持てるものの、124分を持たせるには少々力不足か。そもそも、この類のフィルムは『ロゼッタ』を前にすると、全てお粗末に思えてしまう嫌いがある。
その後はマーケットのルーマニア映画を1時間ほどで途中退場し、ドビュッシー劇場にてある視点のイラン映画『Nobody knows about Persan Cats』[☆☆]。そして最後に監督週間のオープニング作品『Tetro』(コッポラ)[☆☆☆1/2]。巨匠の風格と言える格調高い白黒画面を堪能しつつ、その一方で今尚実験精神を失わない姿勢には驚かされる。
上映終了は、深夜1時を過ぎ。ろくに食事をする時間も無く、さすがに少々疲れる。

カンヌ映画日誌2009・第1日

いよいよ今日から映画祭が開幕。
一年が経つのは早いよなあと思いつつ、一年ぶりにカンヌの街を歩いていると、寿司屋(絶対に日本人経営ではないであろう)が更に増えていたり、ホテルの近くに深夜12時まで開いているスーパーができていたりして、それなりに時の流れも感じる。

朝食後に、メイン会場にバッジを取りに行って本格始動。とは言っても、初日はオープニング作品以外に公式上映は無いので、ひたすら観まくることもなく、マーケット上映を何本か回るのみ。ティム・ロス主演のファンタジー映画(自然描写など映像はまずまずだが、物語運びにおいていまいち焦点が絞りきれておらず、全体的に中途半端)を観てから、日本でも『フリークスも人間も』が公開されたことのあるアレクセイ・バラバノフの作品を30分ほどのぞく。そしてパレを出て、市内の映画館でのWILD BUNCH社のプローモーション上映へ。ここでは、二十数本の予告編や本編の一部が次々と上映されたのだが、なかなかレベルが高い。ただ、なんと言っても今回のお目当ては、ゴダールの新作。『SOCIALISME』というタイトルで、エジプト、ナポリオデッサの映像と共に、歴史や政治が語られていく手法はゴダールならではのもの。

その後は、今年のベルリン映画祭の出品作を二本。GENERATION部門に出ていたスウェーデン映画『THE GIRL』(Fredrik Edfeldt)[☆☆]は、夏休みに一人家に取り残された女の子の物語。透明感のある映像や、大人びた少女の性への目覚めや周囲の大人たちとの軋轢を描く様は、全体的に丁寧で好感は持てるのだが、これという発見も無く、予想の範囲内に留まっている。

そしてもう一本が、今年グランプリにあたる金熊賞を受賞したペルー映画『The Milk of Sorrow』(Claudia Llosa)[☆]。圧政時に母親が受けた暴行の為に、心に病を負った女性が主人公。テーマは重く、主人公はひたすら暗いのだが、それらがきちんと説明されることはなく、彼女の苦悩ばかりが描かれる。そこにはペルーの政治的背景が深く関わっているのだろうが、それらを知らなければ映画の良さがわからないというのはおかしな話だろう。映像的にもペルーの圧倒的な風景にやたらと頼るばかりで、それを活かしきれていない。正直言って、これが最高賞だというのは全く信じられない。
夜は他のスタッフと恒例の旧市街のピザ屋で食事をしてから、あとはホテルで翌日の作戦を練る。